業界(全荷連)としての資源保護の取組
1.シラスうなぎ漁獲高の変動に翻弄される業界
昭和29年当組合発行の「うなぎ」の目次を開くと東大農学部の末廣恭雄博士をはじめとする当時のうなぎ研究の第一人者の先生方の解説記事が掲載されています。
これは当時より我々と研究者の先生方との交流が深かった事を表しています。
すなわち戦後10年も経っていない当時より我々業界はうなぎ資源に対して大いに関心を持っていたことの証でもあります。
また昭和51年発行の月間食堂別冊「うなぎ」(柴田書店)に掲載されている記事によると昭和40年代に既に養鰻業(鰻の養殖業)はシラスうなぎの枯渇に悩まされるようになったとあります。
また昭和51年発行の月間食堂別冊「うなぎ」(柴田書店)に掲載されている記事によると昭和40年代に既に養鰻業(鰻の養殖業)はシラスうなぎの枯渇に悩まされるようになったとあります。
(養鰻業その変遷と現状と問題点、碓井淳)養鰻業のみならず鰻業界全体としてもすでに半世紀前から不安定なシラスうなぎの漁獲高に危機感を持っていたのが事実です。
鰻業界はまさにシラスうなぎの神様の掌の上で踊らされている業界なのです。
2.シラスうなぎ資源保護の取組
業界としても当時からうなぎ資源の永続的、安定的な利用のための資源保護を模索し始めた訳ですが何分当時はうなぎの生態も不明な部分が多くどこから手をつけてよいのか全く手探りの状態でした。
その様な状況下うなぎの研究に努力されている先生方の側面からのサポート及び意見交換を行う場を設けるという方向性が業界の中で生まれました。
平成7年(1995年)我が全荷連を含む業界四団体で設立した「鰻資源保護推進委員会」は設立当初より定期的にうなぎ研究の先生方とうなぎ資源保護に関して交流を図るなどの活動を行っておりました。
そしてついに平成10年(1998年)日本,台湾、中国、韓国のうなぎ研究者、業界関係者の意見交換、研究発表の場として「東アジア鰻資源協議会(EASEC)」を立ち上げるに至りました。
この東アジア鰻資源協議会は毎年1回四か国持ち回りで開催されます。
今年度(2014年)は第17回会議を韓国で予定しています。また「鰻資源保護推進委員会」は現在「日本鰻協会」と名を変え業界六団体にて運営されています。
放流事業は昭和58年(1983年)生産者団体(一色うなぎ漁協)が開始したのを皮切りに現在では生産者団体が中心となって稚魚放流も含め各地で広く行われています。
放流事業は昭和58年(1983年)生産者団体(一色うなぎ漁協)が開始したのを皮切りに現在では生産者団体が中心となって稚魚放流も含め各地で広く行われています。
また現在日本鰻協会は下記のポスターを作成し産卵に向かう天然うなぎ(下りうなぎ)の保護を広く呼び掛けています。
3.今後の資源保護の取組について
最近の傾向として東アジア各国の中で特に日本におけるシラスうなぎ漁の不振が目立っています。
最近の傾向として東アジア各国の中で特に日本におけるシラスうなぎ漁の不振が目立っています。
この原因は定かではありませんが日本における河川環境の悪化(コンクリート護岸,堰,外来魚の繁殖)を指摘する先生方も少なくありません。
今後はうなぎが生息しやすい環境を作る様関係機関に働きかけていくことも必要であると考えます。